古き良き町「神楽坂」「牛込柳町」 | 新宿区・千代田区・文京区の不動産のことなら神楽坂上不動産

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神楽坂コラム

  • 神楽様の歴史を振り返る【その④】

    店長の平野です。令和の記念に昔の街並みを振りかえるコラム。
    今回はすこし「神楽坂」から離れてお隣の「牛込柳町」駅前です。

    私の自宅はここから3分。すぐ近所だということもあり、区役所で写真をパチリ。


     
    昭和45年の市谷柳町交差点。車が並んでいるのは大久保通り、進行方向左に緩やかに上っていった先が「神楽坂上」の交差点方面です。一番下ったところで交差している道路が「外苑東通り」。現在4車線道路に拡幅工事中です。

    江戸時代には現在の防衛省、大日本印刷の広大な敷地に尾張藩の屋敷があり、隣接する柳町一帯は当時「市谷村」「牛込村」という地名で、武家地・寺社領でした。ウィキペディアを見ると町人地でかなりの賑わいを見せた地域でもあると記載があります。交差点を左(北)に1キロほどいくと夏目漱石の遺品などが展示されている「漱石山房記念館」があります。ここは漱石が亡くなるまでの9年間を過ごした早稲田南町の漱石山房の跡地にあたります。また上の写真の場所から後方に500mほど行った場所には「夏目坂」という坂があり、これは漱石の生家がこの坂の前にあったことから名づけられました。

    私は文学には明るくないので勝手な妄想ですが、夏目漱石と交流があったとされる正岡子規や芥川龍之介、岩波茂雄なども漱石を訪ねてこの交差点を行き来していたのではないか、など考えると俗物の私は、何だか立派な街に暮らしているなあと感じたりもします。

     

    今の風景です。
    現在は大江戸線「牛込柳町」駅があり随分と便利になりましたが、2000年に大江戸線が開通するまでは、東西線「神楽坂」駅(昭和39年開業)からは約20分前後、都営新宿線「曙橋」駅(昭和55年開業)からも徒歩16分ほどあり、少し不便なエリアでもありました。

    昭和45年というと、飯田橋駅・市ヶ谷駅・神楽坂エリアなどには随分とマンションも建っていましたが、この写真を見るとまだこの辺りには、あまり高いマンションは建っていません。当時の立地としてはあまり利便性が良くなかったからかも知れません。

    丁度この写真の右手側、現在の写真のサイゼリヤさんの上には昭和45年完成の「牛込ハイマンション」があるはずですので、丁度写真からギリギリ切れているのでしょう。この牛込ハイマンション。たまたま今年の2月に11階の90㎡の住戸を仲介する機会がありました。この写真に写っていればちょっとテンションが上がったのですが残念です。

    市谷柳町エリアも都心回帰の影響もあってか現在若いご家族がどんどん増えています。近くの小学校も数年前までは1学年1クラスという時期もあったようですが、この1~2年は生徒数も増加し2クラス、いよいよ3クラスになりそうな話も聞こえてきます。新宿区が去年から小学校の「学校選択制度」を廃止し学区内の小学校への通学に限定したのも生徒数増加による影響は少なからずあると思われます。

    神楽坂エリア同様、市谷柳町エリアもどんどん若い方々や小さな子供のいるニューファミリー層が増え街に活気が溢れています。住宅地なので少し落ち着いた印象ですが、平日も週末も通学や通園、習い事や買い物に出かける家族連れの数が増えてきています。

    皆様、神楽坂エリアでお住まいをお探しの際「少し予算を抑えて落ち着いた街で」と思い立った時には是非、お隣の「牛込柳町」エリアも候補に入れてみてはいかがでしょうか?都心でありながら、とても暮らしやすく静かな街でオススメです!


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