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神楽坂コラム

  • 神楽坂の歴史を振り返る【その③】

    店長の平野です。
    古い街の写真(区役所より)。次はもう少し写真。1931年(昭和6年)なんと88年前!です。

     


    1930年代というと、近代史をきちんと勉強してこなかった私などは「戦争の時代、暗黒の時代」というイメージだけが先行してしまいます。この機会に東京の人たちの暮らしぶりがどうだったのか少し興味を持ちました。

    まずは世界の出来事・・
    ◉エンパイア・ステートビル(102階381m)完成。
    ◉最初のアフリカ横断鉄道が開通。
    ◉オーストラリア中央銀行が破産。国際恐慌の発端に。
    ◉ドイツで金融恐慌起こる。
    ◉英国が金本位制を離脱。ポンドが3分の2に下落。
    ◉満州事変(1931年)

    昔、研修で習った国内の高層建物の祖は「ニューオータニ(1962年)」と「霞が関ビル(1967年)」。その30年も前にアメリカでは102階建てのビルが完成していたのか・・。これまで改めて調べてみたことはなかったのでちょっとその「差」に驚きです。

    恐慌や戦争以外の話題は無いかと検索してみると「住みよく文化的な暮らしが出来た時代」「日本の大衆文化がもっとも花開いた時代」「アメリカンスタンダードを模倣し、建築・都市計画・社会インフラ等ではアメリカを目指し、部分的にはそれを凌ぐレベルに到達した時代。満州鉄道もその一例」といった記事も、ちょっと目線が変わりました。さらに探していくと「当時の日本は先進国の中でもとても自由なアメリカのような国」「離職率も高く、好条件の就職先にどんどん転職した時代」「世界恐慌が起こった1929年に当時のパナソニックが福利厚生を充実させるなど社員が辞めない経営を取り入れた」などとても身近で現実的な話も。(山本慧氏記事より)
    なんだか現代の日本の就労環境に近い気もします。

    去年放送されていたNHKの「まんぷく」のモデルになった起業家・経営者も1932年に最初の会社を設立、次々に成功をおさめ、トラブルや戦災に巻き込まれながらも事業をリセットし、戦後の昭和33年にチキンラーメンを開発(ロケTV記事より)とあります。

    上の写真も、このような「時代背景」もあったのだと理解すると、少しイメージが沸いてきました。
    街を歩いている人たちの中には、きっと当時のビジネスマン(商売人)や文学青年(学生)も沢山いたのでしょう。

    こちらは現在の風景。


    この日は日曜日でしたので人もまばらですが、平日は学生さんとビジネスマン・OLでとても混雑しています。

    明治28年の甲武鉄道牛込停車場(現在の飯田橋駅)の開通を機に急速に発展した神楽坂、この頃神楽坂は「山の手一の繁華街」「山の手銀座」と呼ばれ、「神楽坂演芸場」をはじめとする寄席も数件立ち並び、夜は人が歩けないほどの賑わいだったと言います。

    明治後期には、今も地名を残す「横寺町」に居を構えていた尾崎紅葉の起こした硯友社や坪内逍遥ら早稲田派文人の活躍の舞台ともなり、商業・娯楽・文化の繁栄する街へと発展しました。

    その後、昭和初期には花柳界の最盛期を迎え、150軒を超える芸者置屋に600人を超える芸姑さんが街を華やかに彩り、訪れる文化人や政治家、財界人で街は賑わいました。

    今では、若者が入りやすい店も増え街は若い方々で賑わっていますが、私が20代だった25年前は、まだまだ敷居の高い店が多く「神楽坂」は「銀座」同様、やすやすと「入り込めない街」「気軽に店に入れない街」でした。街の年長者の方々と話すと「あの頃はよかった」という声も聞こえてきますが、こうやって歴史を振り返ってみると、むしろ明治後期などはもっと大衆的で若い人達の活躍の場だったという側面も見えてきます。今「神楽坂」という街は、昭和初期を飛び越えて、街が急速に発展した明治後期のような時代を迎えているのかも知れません。

     


    飯田橋駅は現在ちょうど「駅の開発工事」が進行中です。計画はホームを約200mほど新宿方向に移動させて、駅舎も新しくするという内容です。既に、牛込橋から見下ろすと新しいホームが出来上がってきているのが確認できる状況。
    そういえばこの10年ほど飯田橋駅では次々と再開発事業(工事)が進んでいます。2009年の「飯田橋プラーノ」。2014年の「飯田橋グラン・ブルーム」。2022年完成予定の「飯田橋中央地区再開発事業」。東地区と飯田橋三丁目地区でも再開発が進行中です。

    計画の概要は「拠点性の強さを生かし、商業・ビジネス・住宅の複合再開発を進め、職住近接の街づくりを行う」という基本概念に基づいたもの。

    働く人、暮らす人が増え、その暮らしをサポートする商業施設が充実する。まさに今の飯田橋・神楽坂エリアの再開発は明治28年の牛込停車場の開通から120年の時を超えて、新たに生まれ変わろうとしているように感じます。

    皆様も飯田橋・神楽坂エリアにお立ち寄りの際は、是非それらの「再開発工事」にも目を向けてみて下さい!神楽坂・飯田橋エリアはまだまだ魅力的で活気あふれる街に変わっていこうとしています。


     


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